港橋&みなと水門周辺工事2010年3月22日
4日ぶりの「港橋&みなと水門周辺工事」記録記事です。
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ついに中島の石垣を崩し始めました。
(クリックで拡大800×450)※以前の様子を過去記事に掲載しています。
あの黒いパイプのようなものは何だ?!
接近。
(クリックで拡大600×450)※以前の様子を過去記事に掲載しています。
徐々に上の構造物が撤去されてきた流路は・・・
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3月18日の様子(2010/03/18)→ 「港橋&みなと水門周辺工事2010年3月18日」場所→地図&航空写真[Yahoo!地図](別ウインドウ)
3月17日の様子(2010/03/17)→「港橋&みなと水門周辺工事2010年3月17日」
3月16日&以前の様子(2010/03/17)→「つつつ、ついに!始まっちゃったよ(T T)・・・どうなる港橋&みなと水門!?」
最初の記事(2009/10/29)→「ああ、みなと水門(ブログを始めようと思った理由?)」
ついに中島の石垣を崩し始めました。
(クリックで拡大800×450)※以前の様子を過去記事に掲載しています。
あの黒いパイプのようなものは何だ?!
接近。
(クリックで拡大600×450)※以前の様子を過去記事に掲載しています。
徐々に上の構造物が撤去されてきた流路は・・・
こうなりました。
(クリックで拡大600×450)※以前の様子を過去記事に掲載しています。
上部構造物はさらになくなり、流路左側の擁壁の撤去が進んでいます。
ところで左手前の方に縦に溝の切られた石とその前後に石積みが見えますが、実はこれ、みなと水門ができる前の水門の跡。
ほぼ、江戸時代、この島が築造されたとき以来の水門の幅はこんなものでした。
幅広の水門ができないので、島を築造し、流路を3本に分割しています。 この写真に写っているのと、左側の島の向こう側、右側の島(これも人工の島です。左のよりずいぶん大きいですが)の右側、の3本です。
別アングルから↓
加工の感じからしておそらく石積みは大正時代に改修されたものだと思われます。
上の写真の向きだと一番右になる水路によく似た石造水門跡(↓)があります。
やっぱり、撤去されることによって昔の様子が分かりやすくなるという皮肉。
いちおうここにはまだ手をつけていないようですが、どうするのか?
(クリックで拡大600×450)
新しいアングルです。
撮影地点は→地図&航空写真[Yahoo!地図](別ウインドウ)※目印の付けてある地点から中心点方向
1つ上の画像の流路を、下流側から見ています。(ちなみに1つ上の写真はこの写真で人が立っているあたりから撮影)
以前の様子↓(撮影:2010年9月17日)
上部構造物がなくなった分、以前よりも明るくなっています。
期限付きの風景です。
(クリックで拡大600×450)※以前の様子を過去記事に掲載しています。
上部構造物はさらになくなり、流路左側の擁壁の撤去が進んでいます。
ところで左手前の方に縦に溝の切られた石とその前後に石積みが見えますが、実はこれ、みなと水門ができる前の水門の跡。
ほぼ、江戸時代、この島が築造されたとき以来の水門の幅はこんなものでした。
幅広の水門ができないので、島を築造し、流路を3本に分割しています。 この写真に写っているのと、左側の島の向こう側、右側の島(これも人工の島です。左のよりずいぶん大きいですが)の右側、の3本です。
別アングルから↓
加工の感じからしておそらく石積みは大正時代に改修されたものだと思われます。
上の写真の向きだと一番右になる水路によく似た石造水門跡(↓)があります。
<参考画像>矢出(美袋)水門(撮影:2009年5月5日)
目印のある場所です。
やっぱり、撤去されることによって昔の様子が分かりやすくなるという皮肉。
いちおうここにはまだ手をつけていないようですが、どうするのか?
(クリックで拡大600×450)
新しいアングルです。
撮影地点は→地図&航空写真[Yahoo!地図](別ウインドウ)※目印の付けてある地点から中心点方向
1つ上の画像の流路を、下流側から見ています。(ちなみに1つ上の写真はこの写真で人が立っているあたりから撮影)
以前の様子↓(撮影:2010年9月17日)
上部構造物がなくなった分、以前よりも明るくなっています。
期限付きの風景です。
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